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※ Last Updated:06/24/2022

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聴覚障害者のコミュニケーションの取り方を映画『聲の形』から考える

–ディスコミュニケーションの複雑さと不透明–

聴覚障害者のコミュニケーションの取り方を映画『聲の形』から考える

   

【 この記事を書いた人 】
ノウリ
ノウリ

障害者手帳3級所持、後天性の聴覚障害者。
3歳より難聴となり、普段の生活では補聴器を使用している。両親が整えてくれた生活環境によって、電話する以外はほぼ普通に読唇術を使用して会話可能になる。現在は大手日系メーカーを経て外資金融で勤務しつつ、投資家・実業家としても活動。

   

Butterfly Worldのノウリです。

   

2015年に「このマンガがすごい!」オトコ編で第1位、「マンガ大賞2015」で第3位を獲得し、2016年には京都アニメーションによって映画化されたアニメである『聲の形』。

   

本記事では登場人物や話の内容について、難聴者としての視点からアニメ『聲の形』に対して考えることや実際はこうであるなど、これから学校生活や社会生活を送る難聴者と難聴の世界について知ろうとしている健常者へ対して書いています。

   

また一部、映画には入っていない漫画の内容も入っていますので、ネタバレなどについては自己責任でお願いします。

   

Agenda

 
・聴覚障害者のコミュニケーションを『聲の形』から学ぶ生き方の道しるべ

・小学校の選択:映画『聲の形』を反面教師にする

・聴覚障害者のディスコミュニケーション

・西宮硝子の愛の告白:石田将也の考え方はある文豪と同じ

・聴覚障害者のコミュニケーションまとめ & 『聲の形』を映画も漫画も観てみよう!
 

   

最初に言えることは、ノウリ自身の学校生活と社会生活は『聲の形』にあるものとは正反対でした。ただ、難聴者本人の性格や周囲の環境によってはこういった状況が形成されることもあるのかと考えるところがあります。

   

また、自身はバックパッカーで世界を旅した経験もあり、“世界は様々な人たちがいるからこそ面白く、自分の世界観を広げてくれる”と常に思っています。

障害の有無、LGBTQ、白人黒人など、本当に世界にはいろいろな人がいます。今、分かりやすくするために3つでカテゴライズしましたが、そもそもカテゴライズで収まるほど個性は少なくありません。

   

『聲の形』では、それぞれの登場人物の世界や視野の狭さから引き起こされたディスコミュニケーションであると考えています。個人の持っている情報が少ないと、人は普通以外の存在を異質と見なしてしまいます。これは、世界の広さを知ることで解決できる問題であると考えています。

   

視野の狭い世界で生きている人は哀しい。是非、もっと広い世界を知って欲しいですね。

だって、世界が全て同じ普通の人ばかりだったら退屈でしょう?

   

聴覚障害者のコミュニケーションを『聲の形』から学ぶ生き方の道しるべ

聴覚障害者のコミュニケーションを『聲の形』から学ぶ生き方の道しるべ

   

物語の内容は”聴覚障害者”を題材としていますが、それだけでなく、いじめやコミュニケーションの難しさについて描かれたものになっています。

   

自身も聴覚障害者として生きてきて、この物語の通りのことが実際に起きてしまう可能性もあり得ると考えています。先程も触れたとおり、自身の人生はこの『聲の形』にある状況とは全く正反対のもので、本当に環境にも人にも恵まれた方だと感じています。

   

ですが、これは運などではなく、対策を講じることで『聲の形』と同じような状況を回避できると自身の経験から分析しました。 聴覚障害児のお子さんを持つ親御さん、学生生活の真っ只中にいる学生さん、これから難聴者と接する健常者へ、『聲の形』と同じことが起きてしまわないように、是非とも本記事を参考にしてください。

   

小学校(普通学級)の選択のしかた

   

小学校は自分の住まいのある学校、つまり指定校へ通学することが定められていますね。

自身の知る限り公立とはいえ、小学校によって人間のレベルの違いがあると考えています。つまり、レベルの低い学区にはレベルの低い人間がその学校に集まります。

類は友を呼ぶもと言えますね。

   

実は、ノウリも小学校に上がる前に住んでいた場所はあまりレベルの高い人たちがいる場所とは言えない場所でした。だからこそ、両親はその小学校へ通わせることを懸念していました。

   

これを私立の偏差値に置き換えてみれば分かりやすいかと思いますが、自身の偏差値が75だったとして偏差値40の学校に通えば、頭脳の低下は免れませんよね。つまり、レベルの低い場所に身を置くと、自分のレベルも環境に染まって低くなる可能性があります。

   

そういった理由もあり、人間的にレベルの低い学校に通わせると『聲の形』のような状況になる可能性が高く、さらには自分の人間のレベルも周りに合わせて低くなってしまいます。

賢明な親御さんであれば、これを懸念するのは当然のことです。

   

そのため、親御さんはお子さんが普通学級で生活して欲しいと考えるならば、小学校へ上がる前に引っ越せる範囲内での小学校のリサーチをすることをおすすめします。

これをやれば完璧というわけではないですが、レベルの低い小学校へお子さんを通わせないためにできる、最低限のことになります。

   

本当に、自身の両親には感謝しています。

   

人間的にレベルの低い小学校では『聲の形』のように”からかい”と称したいじめが起きやすくなります。これは、やはり人間のレベルが低いので仕方のないことですが、人間のレベルが低い人たちとは知り合わない、付き合わないことが大切です。

“からかい”といじめの区別も付かないようであれば、人間的なレベルは低いですね…。

   

ここまで、公立・引っ越し・普通学級について書いてきましたが、この他にも小学校の選択肢はあるので、それについても記載しておきます。

   

公立・引っ越し・普通学級以外の選択肢

 
1. 私立へ通う

2. 学区外の就学許可申請をする

3. 聾学校へ通う
 

   

1の私立については、私立に入るには面接があるので、公立よりは教養があるはずなので人間的にレベルが低い人はいないと思いたいですが、中には「高い学費を払っているのに難聴者のせいで授業が遅れたらどうするの⁉」とかいうモンスターペアレントがいないことも考えられません。

まぁこれも、そのモンスターペアレントの難聴者に対する理解や知識が足りないことが原因で発せられる言葉ですが、私立はいろいろな学区から人が集まってくるので、偏差値はパスできたとしても、人間的なレベルは低い人間が混ざっている可能性があることは念頭に置いておいてください。

   

2の学区外の就学許可申請については、学区外の公立へ何らかの事情があって通いたい場合は引っ越さずに申請をすることで通うことができます。当然、家から学校まで遠くなるので、親御さんの送り迎えや、バスや電車での通学にはなります。

少々通学が大変なところもありますが、いじめが起きるようなレベルの低い小学校へ通うよりは、お子さんにとっても楽しく学校生活を送れます。

   

3の聾学校については、普通学級ではない学校に通うということになります。自身も小学校から中学校へ上がる時に聾学校を2つほど見学しました。

結果としては、一度も聾学校へは通わずに普通学級で過ごしましたが、聾学校に通ったら通ったで、それは楽しい学校生活になったと思っています。聾学校では聴力の違いはあれど全員が同じ世界の難聴者なので、聴覚障害を理由にいじめが発生することもなければ、理解がないこともないです。

普通学級と聾学校、どちらを選択するかはお子さんの性格と相談してもいいかもしれません。

   

小学生で備えるスペックとポジション

   

これはノウリが小学校の頃に普通学級で生き抜くために実施していたことになります。

ここまで、小学校のレベルは選びましょうという環境の話をしてきましたが、“いじめ”の発端を起こさないためには自身の性格と周りの環境整備も重要であると考えています。

   

これは、難聴者である自分は全く努力しないで、周りが何とかしてくれるという考えは間違いであることを示しています。

   

小学生ならば、明るい性格、頭が良い、スポーツができるなどいろいろと周囲の評価となる要素はありますが、中でも重要なのが頭の良さです。

小学生の中でクラスで頭が良いと、以下の2点のメリットがあります。

   

 
・教師からの信頼絶大&お気に入り

・クラスメイトからの尊敬
 

   

まず1つ目ですが、ノウリは小学生で軒並みテストは100点でした。

テストで良い点を取ると、教師のお気に入りになります。教職に就いている方なら分かるかと思いますが、生徒の成績が良いと、その教師の評価も連動して良いパターンがあります。

   

そして、教師のお気に入りかどうかは小学生でも意外と分かります。小学生であっても、その子が教師のお気に入りと分かれば手は出してきません。つまり、いじめのターゲットからは外れます。

だって、教師のお気に入りですから、ここからは説明しなくても分かるかと思います。

   

そして、テストは返されたら、堂々と机の上に置きましょう。すぐ仕舞わない。

小学生ですから、机の上に置いてあればみんな見てきます。クラスメイトは、頭が良いことが分かれば尊敬してきます。

小学生ですから単純な考え方としては、「耳が悪いのに自分より頭がいいなんてすごいな」といった感じです。これが2つ目になります。

   

小学校生活であれば、頭が良いだけで教師からのお気に入りとクラスメイトからの尊敬という、いじめの対象とは程遠いポジションを手に入れることができます。

   

そうやって教師とクラスメイトの心を掌握できたのは、両親のおかげでもあります。

ノウリは幼稚園児の時点で小学校3年生までの勉強を教えて貰っていました。ただ、そこから先の教師のお気に入りになることと、テストを机の上に置いてクラスメイトの尊敬を得ることについては自身が考えてやったことです。

   

友人や周囲との付き合い方

   

世に中にはいろいろな人がいます。全ての人が難聴に理解のある人ばかりではありません。

障害者、LGBTQ、白人黒人など、いわゆる”普通”以外の存在をどうしても受け入れられない人もいます。

   

そういった一定数の人とは付き合わない方が賢明です。

普通の人が、自分たちの特別な世界の方に歩み寄ってこない限りは、普通の人側に壁があるので無意味です。

このあたりはこの後に詳しく書いていますが、『聲の形』の西宮硝子と植野直花のやり取りが分かりやすいですね。

   

人は星の数ほどいますから、あえて理解のない人と付き合う必要はありません。

ただし、学校生活だったり社会生活であったり絡まざるを得ない場合は、必要最低限の会話でOKです。

   

もし、その必要最低限の会話で相手側が急に話してきて何を言っているか分からなかった場合は、「相手に自分の言いたいことを伝えたいならば、相手に伝わるように話しなさい。今のあなたの話し方では自分に伝わっていませんよ」と言ってしまえばOKです。

   

小学校の選択:映画『聲の形』を反面教師にする

小学校の選択:映画『聲の形』を反面教師にする

   

映画『聲の形』の物語が始まってからの30分ぐらいは小学校の回想になります。

   

ヒロインの西宮硝子は主人公である石田将也のいる小学校に転校してきます。

西宮硝子は先天性の聴覚障害があり、転校してきた時に筆談ノートを使って自己紹介します。その時のクラスメイトの反応は異質なものを見るかのような一歩引いた感じでした。

石田将也に限っては、「変な奴!」と大声で感想を言います。

   

石田将也は何よりも退屈に負けてしまうのが嫌いで、いつも度胸試しと称して学校帰りに橋の上から飛び込みをするような性格です。

個人的には、そんなに退屈なら勉強しろよと言いたいところです。勉強すれば将来がかなり有利になりますから、勉強は最高の暇つぶしです。漫画の作中では、石田将也の友人である広瀬啓祐も「もう少し安全で身になる時間の使い方をしよう」と言っています。

   

そんな性格である石田将也にとって最高の暇つぶしが現れた瞬間が西宮硝子でした。

そこから石田将也は自らの暇つぶしのために西宮硝子をからかい始めます。クラスメイトのみんなも直接手を出すことはないものの、石田将也に同調します。

先程、“からかい始めた”と書きましたが、あくまでも石田将也とクラスメイトの視点であって、第三者から見れば立派ないじめです。

   

そのいじめの中でも特に目に余るのが、石田将也が西宮硝子の補聴器を8個も破損させたことです。ひどい時は無理やり耳から外し、耳を怪我させて流血させています。

当然、子供のいたずらでは済まないので、補聴器の総額170万円は弁償です。怪我の治療費については作中では分かりませんが、自分なら器物損壊罪と暴行罪で訴訟ものですね。

本当に、無知とは罪だということが分かる内容になっています。

   

難聴者の視点で小学校教師の竹内を考える

   

一言で言えば、厳しいですが教師としては格下になりますね…。レベルは高くないです。

教職に思い入れがなく、ただ生活のお金のために仕事をしているといった感じです。だったら、人を相手にしないような別の仕事を選択しろよと言いたいところですが、もしかしたら、彼にできる仕事がそれしかなかったのかもしれません。

   

まぁ、それはさておき、竹内が教師として石田将也のいじめを咎めずに、時には一緒になって西宮硝子の障害を笑ったりしなければ、また石田将也と西宮硝子の悲劇はなかった可能性もあります。

   

こういった教師が在籍している時点でこの小学校は終わっています。

先に書いた”小学校の選択のしかた”と合わせて、このような小学校は選択しないことが賢明です。

   

難聴者の視点で難聴学級の教師(聞こえの教室)の喜多を考える

   

こちらも一言で言えば、”聞こえの教室”と名乗っている割にはこのレベル?その肩書きを名乗るまでに一体何を学んできたんだ?というのが率直な感想です。

はっきり言って、勉強不足です。学習が足りません。中途半端な学習でプロを名乗るべきではないですね。

   

そう感じさせた喜多のセリフがこれです。

「皆さん!硝子ちゃんのためにみんなで手話を覚えましょう!」

   

本人は”障害者への配慮”のつもりだったようですが、逆に差別になっていますね。それに本人は気づいていないので、一体何を学んできたのでしょうね。

   

何にでも言えることですが、勉強するならちゃんとしましょう。一切妥協はするべからず。

   

聴覚障害者のディスコミュニケーション

聴覚障害者のディスコミュニケーション

   

ディスコミュニケーションで一番考えさせられるのが、西宮硝子と植野直花のやり取りです。

   

まず、植野直花がなぜ独りよがりかと言うと、それを裏付けるシーンがあります。

それは、『聲の形』の最後の方で西宮硝子が花火大会から途中で帰ってしまって、ベランダから自殺しようとしたところに石田将也が現れてギリギリのところで助けます。

しかし、代わりに石田将也は落ちてしまい、入院します。

   

石田将也と西宮硝子は告白はしていないものの、既に相思相愛ですが、植野直花は石田将也の彼女面をして入院中の看病をし、西宮硝子にお前のせいだと殴りかかります。この時点で植野直花は完全なる部外者だということはお分かりですね。

   

それを踏まえた上で考えていただきたいのが西宮硝子と植野直花のある会話です。

まず、西宮硝子は会話のために植野直花に筆談を持ちかけます。

   

それはやめよ。
あんたが分かるようにゆっくりしゃべるし、あんたの声もちゃんと聞くから。
小学校の時さ、私はあなたへの理解が足りてなかった。
でも、あなたも私のことを理解しようとしてなかったよね。
だから、空気も読まずに変なノート渡して。
(中略)
あの頃はお互い必死だったし。
今思えば仕方なかったことかなとも思う。
でも今更仲良くしようなんて話をするつもりはない。
今でも私はあんたが嫌いだし、あんたも私のことが嫌い。
だからこれからは穏やかにいかない?
嫌いな物同士さ、握手。

   

ち…ちがいます。わたしは、わたしが嫌いです。

   

何それ?
結局さ、あんたは5年前も今も私と話す気がないのよ!

   

完全に支離滅裂で独りよがりな人物です。

まず、嫌いならもう高校生になって学校も別なので、関わり合いにならなければいいのですが、何かと植野直花は西宮硝子に絡んできます。まぁ、背景に石田将也がいるからですが…。

自分が西宮硝子ならば、目障りなことこの上ないですね…。

   

そして、会話の仕方ですが、難聴者によって、読唇術か筆談か手話かはそれぞれです。

確かに読唇術を使えば、難聴者は相手の口元の動きと声の併用で理解が出来ますが、難聴者全員ができる訳ではありません。また、難聴者側も健常者が手話ができない可能性が高いことは理解しているので、その間を取って筆談という手段を提供しています。

   

にもかかわらず、植野直花は筆談での会話を拒否し、自分に合わせるように会話を強制します。

そして、最後には「結局あんたは私と話す気がないのよ!」と切り捨てます。まるで、自分が中心に世界が回っているかのような傍若無人っぷりですね。

   

西宮硝子は植野直花を何とも思っていません。どうでもいい。

その上で、難聴者である西宮硝子と会話をしたいのであれば、健常者である植野直花は筆談で歩み寄らなければ会話は成立しません。

   

最後に、植野直花は高校生になった西宮硝子に対して、「あいかわらずぼっちなんだ。カワイソー」と言いながら、強引に補聴器を西宮硝子の耳から取り上げています。

物語の中でも分かりますが、植野直花が誰かと一緒にいるシーンを見たことが無いです。まるで、自分自身に言っているようなセリフです。

   

先程の西宮硝子に対する会話、高校生になってまで相手の物を強引に取り上げる、そりゃあ友人なんてできませんよね。作中でおそらく一番かわいそうな人です。

   

本記事を読んでいただいている方にも反面教師の材料にしていただければと思います。

   

西宮硝子の愛の告白:石田将也の考え方はある文豪と同じ

西宮硝子の愛の告白:石田将也の考え方はある文豪と同じ

   

ここは、ノウリが一番好きな西宮硝子が石田将也に告白するシーンです。

西宮硝子は普段手話で時に筆談ですが、告白の時だけは声で伝えようとします。が、しかし、上手く発声できないため、上手く伝わらずに終わってしまいます。

   

う!きぃ!

   

あ…⁉ な、なんか言った?…何?

   

う…き…

   

え、ごめん、わかんなかった。手話使えよ。

   

ちゅ…き…

   

あ、月?

   

(伝わったと勘違いしうなずく)

   

ああ、月が奇麗だね。

   

実際には伝わってないのですが…、告白のシーンで「月が奇麗」だとは、まるで夏目漱石を彷彿とさせます。

   

西宮硝子の「好き」という告白に「月が奇麗だね」と返す石田将也のセリフは「俺も」という返事に聞こえます。

   

聴覚障害者のコミュニケーションまとめ & 『聲の形』を映画も漫画も観てみよう!

聴覚障害者のコミュニケーションまとめ & 『聲の形』を映画も漫画も観てみよう!

   

『聲の形』という物語を基に、自身の経験から実生活でも役立つ情報を書きましたがいかがだったでしょうか。

   

これから学校という集団生活を始める方にも、既に学校や社会で集団生活を始めている方にも、ディスコミュニケーションが起きていじめなどに繋がってしまわないように対策できるものになっていれば幸いです。

   

『聲の形』では、登場人物や環境が悪いがために、こういったことが起きた場合はどうしたらいいのかと常に考えさせられます。もし、ただ感動する内容であれば、ここまで反面教師として本記事で実生活のための対策を書けることもなかったかもしれません。

   

西宮硝子という聴覚障害者を中心に、あらゆる人がコミュニケーションのあり方を考え、彼女の存在によって手話を覚えるようになる人も増えて周りの環境も変わってきます。

何も手話が特別ではなく、もし自身がロシアの友人ができてその友人と会話をしたければロシア語を覚える、それと一緒です。そして、自分ならロシアの友人ができたことで、ロシア語を勉強する機会を与えてくれてありがとうと感謝します。

   

いつになっても、知識が増えることは人生を豊かにしてくれます。

   

もしまだ、物語自体を観たことがない、映画は見たけど漫画はまだ、またその逆、どっちも観て読んだけど何も考えずに見ていたのなら、映画も漫画も見てみることをおすすめします。

   

映画で『聲の形』を観る!

   

Hulu特徴:映画のみで漫画を読むサービスは無いが、日本語字幕対応。

   

漫画で『聲の形』を読む!

   

U-NEXT特徴:映画も漫画も見放題で読み放題。ただし、映画に字幕が非対応。

   

   

またね!

またね!